ドラマ「カルテット」が遂に最終回を終えましたね。その中で、4人がコンサートで披露した「死と乙女」の意味を真紀さんの言動を交えてまたもや推察の嵐となっているようです。
「死と乙女」を1曲目に選んだのはなぜ?
カルテットドーナツホールが初めて行うコンサートでの1曲目は真紀さんが「死と乙女」を選曲したようです。
すずめちゃんから「なんでこの曲を1曲目に選んだんですか?」と2回くらい聞かれてやっと答える真紀さん。
「愛が溢れちゃった、秘密ね」
この一連の意味を巡って様々な考察がなされています。その中でも一番多い考察をネットからピックアップしてみました。
考察その1:
考察その2:
考察1では別府さんと真紀さんが実はこっそり両想いになっている、というもの。真紀さんのセリフだけを見るとそう思えますね。9話で「人を好きな気持ちは溢れちゃうんだよ」って言ってたすずめちゃんの言葉を思い出しますね。
そして考察2、これは「死と乙女」の曲の意味を見てみると見えてくる意味なのですが。富山県時代に戸籍を買う前に義父を殺したかもしれない疑惑が前にありましたよね。そこから考えられる考察ですね。死は義父、乙女は真紀さん。
「死と乙女」の意味
弦楽四重奏曲第14番ニ短調、フランツシューベルト作曲。作曲者が健康の衰えを自覚した直後の1824年に作曲された。なお、第2楽章が自身の歌曲「死と乙女」を引用していることからこの曲も「死と乙女」と呼ばれている。
この記述の中になる同名の歌曲とは、
「死と乙女」作品7-3、D531フランツ・シューベルトによる歌曲。詩はマティウス・クラウディウスによる。病の床に伏す乙女と、死神の対話を描いた作品。
乙女は「死」を拒否し、死神に去ってくれと懇願するが、死神は、乙女に「私はおまえを苦しめるために来たのではない。おまえに安息を与えに来たのだ」と語りかける。
ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれている。ドイツでは、昔から「死は眠りの兄弟である」とよく言われており、ここでの「死」も永遠の安息として描かれている。
「死と乙女」の説明文を読むとどちらかというと私的には真紀さんはやはり義父を・・・って思ってしまいますね。過去の真紀さんが乙女だったとすると富山県で生きていた過去の真紀さん(明子)はもう死んでしまった。辛かった少女時代の真紀さんは終わった。平凡な人生を求めて戸籍まで買って幹生と結婚して平凡に生きたかった真紀さん。
しかしカルテットドーナツホールでまた新しい永遠の安息の地を得られた、のかもしれません。だって、カルテットドーナツホールは4人にとってとても大切な場所であり仲間でもあるのだから。
「安息」の意味:何の煩い(わずらい)もなく、くつろいで休むこと。
ドラクエの曲
ネットの考察その3:
そして、コンサートではドラクエの有名な序曲も演奏されました。ネットでは「死」からの復活、生き返りという意味であるとの考察もあります。確かに、真紀さんを一年後迎えに行ってまたカルテットドーナツホールとしてコンサートを開くというのはある意味「死」からの「復活」のような感じもありますね。
やはり、そう考えると永遠の安息の地を手に入れた真紀さんは「カルテットドーナツホールへの愛が溢れちゃった」のかもしれないですね。
手紙を送って来た人がコンサートに来ていた??
4人に手紙を送って来た、今はもう音楽の道をあきらめてしまった人。その人が4人のコンサートを見に来ていたのではないか、ということです。一瞬映った帽子をかぶった誰か分からない人、だそうですが。実はこの女性、岸茉莉さんという女優の方だそうです。
椎名林檎さんなのでは!?という噂がありましたが違ったようです。
まとめ
様々な考察や憶測が飛び交っています。カルテットは終わってしまいましたが、まだまだもう一回ドラマを見て色々なシーンを味わいたい方も多いのではないでしょうか?最終回終わっても謎が残るドラマって珍しいですよね。
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